3.11 東日本大震災を忘れない[宮城県] interview #02

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仙台市でもうひとつの海に面したエリアが宮城野区だ。小林は部下とともに午後の訓練をを行っていた。そろそろ終わりにしようか話していたその時、激しい揺れが襲った。隣接する工場の建物からは不気味なしなり音が鳴り響き、自分の足元のアスファルトが裂ける。尋常じゃない揺れが1分近く続いた。小林はこれまで、阪神・淡路大震災や宮城県北部地震といった国内地震災害はもちろん、IRT登録隊員として台湾地震に出動した経験を持つ。その現場で、そして、日ごろから「いつか自分の街でも巨大地震が起こる」と覚悟していた。

 

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地上からの救出と並行して消防ヘリによる救出も実施された。

揺れが収まると直ちに庁舎に戻り、来庁していた市民の安全を確認する。そこに、救助指令が入った。管内の大型量販店で天井崩落が起こり、従業員3名が閉じ込め状態となっていた。現場にて警察官と合流。あわせて6名にて進入を図ろうとするが、大きな余震が起こる。進入の決断を迫られた。救出・退避動線となる階段の踊場で警察官に安全管理を依頼し、最深部へは救助隊3名で進入。要救助者1名に隊員1名が介添えし、崩れた天井や倒れた壁を回避しながら、屋内階段にて救出した。

 

「ゆっくりで大丈夫ですよ。右足をここに置いて」
要救助者を落ち着かせながら、崩落物で足の踏み場がなくなった通路を確実に進んでいく。
屋外へ無事救出したところで、「津波が来ている」との航空隊の通信を傍受する。発災から1時間程度が経過したころだった。

 

暗闇で続けられた救出活動

沿岸部へ転戦する中、先遣隊から「津波による浸水で先に進めない」という状況報告が送られてくる。しかし、助けを求める通報は、浸水域のその先から入ってくる。小林らが現場に到着すると、目の前には車が折り重なり、流されたコンテナが擱座していた。
要救助者のためにこの先に進みたい。しかし、どう活動を組み立てればよいか──。

すぐに答えが見出せなかった。

 

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建物の屋根に開口部を設定し、内部に要救助者がいないか確認していく。

署隊本部へボート搬送依頼をかけ、とにかく、その場にいる市民の避難誘導や手が届く範囲での救出活動を行うしかなかった。
水難救助の資格を持つ小林らはドライスーツを着装し、無線にて署隊本部の指示をあおぎつつも自らの判断で活動にあたらねばならなかった。見渡す限りが現場という状況。とにかく、行き着く先で救助を行う。

 

活動を開始してまもなくすると、日没により暗闇が辺りを包んだ。要救助者の声をたよりに浸水域を歩き、車の中や木の上で助けを請う要救助者のもとにたどり着く。漆黒の闇となり、津波により目標物となる建物や道路も破壊しつくされている。このとき、区内のコンビナート地域では地震に伴う火災が発生していた。現場の炎の明かりで方向や位置関係を把握するという状況で、夜明けまで救助や検索を続けた。

 

ひとりでも多くの人命を救うため

 

higasinihon_miyagi_i_02-03誰もが体験したことがなく、人間が受け止められるキャパを越えた世界だった。
現実に翻弄される中、目の前で起こっていることが理解できない。

数々の現場を経験してきた小林自身がそう感じていたのだから、地域住民はなおのこと、どう逃げればよいかなど考えることはできなかっただろう。

 

高台のないエリアで、高い建物も学校程度。そこにたどり着けなかったものが数多くいることは想像できるが、要救助者の居場所がまったくわからない。人員や装備を総動員して活動にあたるが、圧倒的に消防力は劣勢だった。隊員を冷水から守るドライスーツも、活動を進める中で瓦礫により破れてしまう。隊員の疲労度を考えれば休息を与えねばならないが、その先に要救助者がいる。過酷な状況の中で、隊長である小林は、常に究極の選択を迫られることになる。

 

すべての要素を天秤にかけ、ひとりでも多くの人命を救える選択肢を探し続けた。

 

オール仙台での活動

 

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宮城野区港地区にて活動を展開する仙台市消防局部隊。

宮城野消防署単独での活動では対応しきれぬほどの状況。そこで内陸部の署所、消防団から応援部隊が投入されていた。体勢を立て直すため一旦署に戻った小林は、本来であれば会うはずのない先輩と顔を合わせる。
「オール仙台での活動。みんな来てくれたんだと、うれしかった」
発災直後の市内連携が、迅速で漏れのない活動だけでなく、活動隊員たちのモチベーション維持にも大きく役立った。

 

2日目には各地から緊急消防援助隊なども駆けつけた。そして、3日目からは場当たり的な活動から活動局面の割り振りや人員ローテーションを踏まえた活動の組み立てができるようになった。小林も、現場での活動を1日行うと署隊本部に入って部隊の振り分けなどを1日行うというように、ローテーションのもと休みなく活動を続けた。

 

3日目になって、ようやく家族に連絡することもできた。自宅に電話をするが、つながらない。そこで、隣人宅に電話を入れ、状況を聞いた。全員無事である旨を教えてくれ、家族と電話を代わってくれた。
妻とは「子供は大丈夫か」といった簡単なやり取りをし、親から「あなたは自分の仕事をしなさい」と背中をおされた。

 

厳しい中での即断即決

 

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活動を前に、応援部隊とミーティングを実施。奥ではコンビナート火災の現場から立ち上る煙がはっきりと見える。

国内外への派遣経験を持つ小林。その頃より装備や技術が充実している。自分の街で同様の事態が起こった場合は、当時よりは納得できる活動ができるのではないかと思っていた。だが、そうはいかなかった。隊長として、隊員たちに動揺を与えず任務を遂行するために即断即決を意識して活動を続けた。
いつも以上に即断即決を迫られる状況だが、その判断材料はあまりにも少なかった。
阪神・淡路大震災は早い時間の発災で、人々の多くは就寝中だった。隣近所の人に聞けば「ここで寝ている」といった情報が得られた。

 

今回は、そうした情報がまったく取れない。人々が動いている日中の発災。

そもそも、地図上にあるはずの家が流されてしまっている。そこで、町丁目ごとにメッシュを区切り、街区ごとに検索をかけるしかなかった。

 

人を育て、自らも成長する

 

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倒壊建物や流出物などを保管する場所では、何らかの原因で突然瓦礫が燃えだすということも。

災害対応において「すぐに戻れない」という考え方は基本。だからこそ、次の活動に繋げられる準備が必要だ。

また、集中すればするほど視野が狭くなってしまう。そうならないための広い視野と考える力、それをもとに決断し行動する能力が求められる。

これは若い隊員に限った話ではなく、消防団員や婦人防火クラブの方々、そして市民一人ひとりに共通するテーマだと小林は言う。
「難しい話ではなく、踏ん張れる覚悟と心構えを持とうということです。いまの階級になったのも、こうした思いを伝えるステージに上がるためなんです」
すこしでも多くの人に伝えることができるように昇任試験に臨んだという小林。

マニュアル通りではなく、プラスアルファの行動ができる人の育成を通し、自分自身も成長していけたらと考えている。

 


 

現場写真提供:仙台市消防局

インタビュー:伊木則人(株式会社ライズ・代表取締役)

文:Rising編集部

 


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