3.11 東日本大震災を忘れない[岩手県] interview #04


自宅で被災し、直ちに屯所へ向かった。すでに数名が集まっており、水門・陸閘(りっこう)閉鎖や広報、そして避難誘導を分担して行った。三浦が高さ3.3mほどの陸閘を閉鎖し終えると、消防本部より無線にて「閉鎖後は直ちに高台へ避難せよ」と指示された。津波避難場所に指定されている漁協ビルがある高台へ避難し、海を見つめる。襲来した津波は、想像をはるかに超えていた。寄せ波があらゆるものを破壊する。波の音に激しい破壊音が混ざり、不気味さを感じさせる。およそ20分程度続くと、今度は引き波として建物や車などが海に引きずられていく。「当然、自分たちが閉鎖した陸閘は易々と突破された。しかし、避難の時間を稼ぐという役目は果たせたはずだ」
1波目より2波目、2波目より3波目というように、波高はどんどん増していった。また、2波目の引き波の時は海底が見えた。2時間程度は襲来が続いた。
漁協ビルがある高台は孤立した状態にはなったが、安全は確保されている。そこで、他の避難所の状況を確認すべく三浦らは山中のケモノ道を通り、高台にあるいくつかの避難所間を行き来し、足りないものを調達して回った。日没後は動くこともできず、ただただ励ましあい、暖をとって一睡もせず夜を明かした。
2日目は夜明けと共に山を下りた。まずは屯所へ向かう。水は引いていたが、道路は瓦礫で埋め尽くされていた。鉄骨造だったために流出は免れており、真空パック状態の備蓄毛布が使える状態で残っていた。まずはこれを避難所へ運んだ。8時頃より活動を開始。2名1組となり、家があった場所や流された家の人命検索を実施。声かけを続ける中、全壊を免れた民家の2階で生存者を発見。三浦ら10名の団員で救出を行った。生存者の発見は、とにかくうれしかったと振り返る。
生まれ育った街の壊滅という現実を受け入れるのに時間がかかった。だから、当時は涙も出ず、ただがむしゃらに人の助けになければと動いていた。自分の街を守りたいという強い思いから、現在も三浦は班長として消防団活動を続けている。

 

鉄骨造であったため倒壊流出を免れた第六分団の屯所。2階の窓にまで津波の痕跡が残る。

当時使用していた仕事用の車は津波で流されてしまった。同じ仕様で作りこんだ2代目にも、取り出しやすい場所に団員装備が準備されている。

 


 

現場写真提供:高田由美さん

インタビュー:伊木則人(株式会社ライズ・代表取締役)

文:Rising編集部

 

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