あの日の広島 それぞれの想い 第一回

 2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災。多くの消防職員が「ボランティアとして何かできることはないだろうか」との思いを胸に抱きつつも、その一歩を踏み出せずにいた。今では大規模災害発生時に消防職員がその知識や技術を活かして被災地でボランティア活動を行うことが定着し、こうした活動は「消防系プロボノ」として広く認知されるようになってきた。しかし、当時は消防の世界においてこうした活動はタブーとされていた。非番や週休は休息をとる日であり、業務外で災害現場に入ることはいかがなものかという風潮が色濃かったのだ。
 こうした空気を大きく変えたのが災害ボランティアドリームチーム『集結』の登場だった。在職中に数々の現場をくぐりぬけてきた各地の消防OBが文字通り集結し、宮城県気仙沼市を拠点にボランティア活動を展開。これに呼応する形で現役消防職員も活動に参加した。以降、消防OB・現役消防職員が余暇を使い全国でボランティア活動を行うという流れが急速な広まりを見せた。
 広島県内の消防本部に所属する東直輝が『集結』と出会ったのは、平成26年8月豪雨がきっかけだった。鳥取の消防職員の友人から「大規模な土砂災害が発生した広島県の現場に『集結』の方々が活動に入ることを考えており、広島での案内をお願いできないか?」という連絡があった。東は迷うことなく手伝うことを決めた。
 発災より一週間ほどが経過したある日。午前中に『集結』のメンバーと合流し、被災地の状況を見て回った。その日の午後にはボランティアセンターに出向き、早速現場活動を開始した。すでに緊急消防援助隊などの派遣も打ち切られていたが、現場は土砂などで埋め尽くされ、行方不明者もいた。「継続した活動が必要だ」と感じていた東は、自主勉強会などにより繋がりのあった全国の消防の仲間にも声をかけた。

 

西日本豪雨災害のボランティアで一番大変だったという暗きょの障害物除去作業。貫通したときには地元の人々から拍手が起こった。

 

現地コーディネイトの重要性

 消防職員の場合、勤務が明けてからボランティアセンターに行くと、すでに受付が終了していることが多い。担当者に説明し調整を図ることで「ぜひ活動をお願いします」と言ってもらえるのだが、担当者が変わればまた一から説明しなければならない。また、こうしたボランティアセンター(社協)との連絡調整だけでなく、資機材調達や宿泊場所等の確保といった現地コーディネイトができれば、駆けつけてくれた消防の仲間たちがスムーズに活動でき、継続した活動にもつながるのではないかと考えた。そこで、東は仲間にボランティアへの参加を呼びかけるだけでなく、現地コーディネーターとして受援体制の確立に奔走した。その結果、平成26年8月豪雨では最終的に200名近い消防士たちがボランティアに駆けつけて活動を展開。「休日返上 消防隊員の輪」という大きな見出しと共に地元新聞でも大きく取り上げられた。
 この災害以降も、平成28年の熊本地震や鳥取県中部地震、平成29年の九州北部豪雨、そして平成30年の島根県西部地震や大阪府北部地震など、西日本地域において大規模自然災害が続発した。自然派生的なシステムとして東が生み出した現地コーディネーター方式はこれら災害において、東自身や仲間の手により実践され、被災地あるいは近隣都市のメンバーが受援に向けてのコーディネイトを実施し、他地域のメンバーが実働要員として集結するスタイルが確立された。『集結』という受け皿に加え、現地コーディネイトによる円滑な活動の実現により、消防職員も勤務明けに被災地に入り、ポテンシャルを活かしてボランティア活動が存分に行える環境が整ったといえる。これら災害における活動の積み重ねにより、一般的なボランティアやプロボノでは対応が難しい危険な局面に対応できる消防系プロボノが世間にも認知されるようになっていった。

 

矢野東7丁目天神町内会ボランティアセンターでは毎日ミーティングを実施。各ボランティアチームも打ち合わせを行う。

 

西日本豪雨災害の発生

 平成30年に発生した西日本豪雨災害では、東が所属する消防本部管内でも土石流などの発生により大きな被害が出た。
「まさか自分の街で、ボランティアセンターが立ち上げられるような大災害が発生するとは思ってもみませんでした。ボランティア活動が始まった7月15日は非番の日で、勤務が明けたその足でボランティアセンターに駆けつけました」
 この災害では同時多発的に各地で大きな被害が発生したことで、ボランティアが分散せざるを得ない状況があった。また、九州エリアからは広島県、東日本エリアからは岡山県というようにボランティアが集中してしまい、その先にあたる愛媛県へは四国エリア内で対応せねばならないという状況があった。人が集まりにくいというどうにもならない課題を突き付けられた。そこで東も、まずは地元において、コーディネイトだけでなく実働にあたった。24時間の勤務が明けると、休みは地元のボランティア活動に参加するという毎日を、7月いっぱいまで続けた。まだやることはあるが、一般ボランティアでも対応可能なレベルとなったため、8月1日より知人がいる広島市安芸区の矢野東7丁目に入った。
 発災から3週間以上が経過しているにもかかわらず、矢野東7丁目では復旧活動がほとんどなされていないことに驚いた。避難指示が出ているために一般ボランティアが入れず、住民も最初の2週間は力を合わせて復旧活動を行っていた。だが、時間の経過とともに仕事がある人は職場に出ねばならず、日中は地域に高齢者の方しかおらず力仕事などが進まぬ状況に陥っていたのだ。
 また、一般ボランティアが入れない状態なのだから、ニーズ調査なども行われていない。コーディネイト以前に、その指針となるニーズ調査から自分たちの手で行わねばならないという初めての体験をした。こうした現状を打破するために、矢野東7丁目では自治会が独自にボランティアセンターを開設。東は同センターにおいてニーズ調査や情報整理などに協力した。

 

危険が伴う高所作業などは消防系プロボノが対応した。

 

無駄な活動はない

 地域住民と対話を重ね、潜在的なニーズを探っていく。
「ボランティアは『やってもらいたいこと』以上をやる必要はなく、いくら良かれと思ってもその一線を越えてしまえばただの『押し売り』になる。だからこそ、対話し、とことん寄り添い、納得してもらったことをやるというのが基本。被災者ができないことだけを手伝うということをはっきりさせないといけない」
 また、被災者の中には自らで完結させようとする人もいれば、頼りすぎてしまう人もいる。まずは自らでしっかり考え、動いてもらうよう促し、その上でボランティアがどういったサポートができるかを説明した。
 地震や土砂の直撃などを受けた家は屋根が損傷し、雨漏りのリスクが生じる。そこで、修理ができるまでの応急処置として屋根上のシート張りを行う。こうした高所作業などは一般ボランティアでは対応できず、業者の数も限られているため、消防系プロボノが力を発揮する。今回は取り壊しをするか悩んでいるという家屋に対しても、台風の襲来が予想されたためシート張りを実施した。
「結果として取り壊すかもしれないが、シートを張って応急処置を行っておけば、家人が考える時間を最大限確保することが出来る。こういう考え方もボランティアの中で大切だということを学びました」
 また、取り壊すことが決まった家でも、土砂の搬出活動を行った。
「家の中には大切な物があるはずだから探しましょうと。また、壊す前に長く住んだ家はキレイにしておきたい想いがみんなあるはずです。諦めている方がほとんどでしたが、できますよとアドバイスして活動してきました」
 活動の最優先は二次災害の防止措置であり、引き続き住みたいという方の宅内からの土砂搬出などが優先されるが、それ以外にもできることがある。被災者に寄り添うことがボランティア活動において重要なことだという。
「消防の災害現場活動というのは、その時で終わってしまう。ボランティア活動では被災された方々と接し、被災時の体験談もたくさんの方から聞くことができた。消防の活動ではこうした時間はなかなかない。これにより発災から今に至るまでの生の声を耳にすることができ、災害の『その後』をリアルに思い描くことができるようになった。この経験により消防の活動における自らの動きや被災者への接し方が変わってきたと思う」
 自分にできることがあるならば、自分の知識や体力が還元できるのなら、これからも迷わず現地へ行く。そう語る東の言葉に、強い信念が感じられた。

 

宅内に堆積した土砂の除去作業。天井に届かんばかりの土砂をかき出していく。

 


 

インタビュー・文︓木下慎次

 


初出:2019年10月 Rising 秋号 [vol.15] 掲載


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