【特別企画】3.11 写真で見る東日本大震災

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平成23年(2011年)3月11日14時46分、三陸沖を震源としたマグニチュード9.0の地震が発生。気象庁は同日、この地震を「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」と命名し、さらに政府は東北地方太平洋沖地震による災害及びこれに伴う原子力発電所事故による災害について「東日本大震災」と呼称することとした(平成23年4月1日閣議了解)。

 

日本国内観測史上最大の地震により建物倒壊といった直接的被害が発生したのに加え、沿岸部を巨大津波が襲い、さらには原子力発電所事故を誘発するというように、複合的な要素で被害を拡大させたこの災害。本震とその後の余震により、死者19,418人、行方不明者2,592人、負傷者6,220人という未曾有の被害をもたらした。(平成28年3月1日現在、総務省消防庁被害報)

時間の経過と共に、被災地では瓦礫除去などが進む一方で、未だ街並みは元通りには戻っていない。

 

時間の経過と共に、記憶は薄らいでしまう。
しかし、過去の災害を私たちは決して忘れてはならない。
そして語り継ぐことが、今後発生する大災害に打ち勝つ力になるはずだ。

 

記憶を風化させず、永く後世に伝えていくきっかけになればと、ここでは発災から約2週間が経過した当時の被災地の状況を紹介する。

 

あの日、激しい揺れに襲われた各地で何が起こっていたのか──。

 

今一度思い出してほしい。

 

千葉県 浦安市

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千葉県浦安市は昭和39(1964)年から海面埋立事業を行い、総面積がそれまでの約4倍である16.98平方キロメートルに拡大。それに伴う大規模住宅開発により人口が急増し、急速に都市化が進んだ街だ。3月11日午後2時46分頃に震度5強の本震が発生し、その約30分後に震度5弱の余震が発生。これにより海面埋立事業により造成された中町・新町地域全域で液状化が起こり、大きな被害が発生した。

 

福島県 いわき市 「いわき市立総合体育館」

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総理大臣から東京都知事に対し、福島第一原子力発電所への特殊車両等の派遣の要請があり、都知事が受諾(3月17日夜)。それを受けて消防庁長官から、東京消防庁のハイパーレスキュー隊等に対して緊急消防援助隊としての派遣を要請がなされた(3月18日 0時50分)。東京消防庁から特殊災害対策車等30隊139名が出場した(3月18日3時20分)。この派遣部隊が現地での活動拠点としていたのがいわき市立総合体育館だ。

 

宮城県 宮城郡 利府町 宮城県総合運動公園「グランディ・21」

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塩竈市・七ヶ浜町・多賀城市にて活動した長野県隊、岡山県隊、徳島県隊の野営地となったのが宮城県総合運動公園「グランディ・21」だ。当時は想像を超える冷え込みに襲われ、そうした中でのテントによる野営が行われていた。また、深夜に雪の重みでテントが潰されそうになり、雪を落としながらの野営を行うなど、厳しい状況があった。

 

宮城県 塩釜市

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宮城県塩竈市にある塩釜港旅客ターミナル「マリンゲート塩釜」周辺の状況。

道路上には津波に流された自動車がいたるところにあり、信号機も破損してしまっている。

 

宮城県 名取市

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一面が瓦礫で埋め尽くされた状況下で、行方不明者の検索活動にあたる緊急消防援助隊・長野県隊。形の残った建物に対しての検索はすでに完了しており、瓦礫を掘り起こしながらの平面捜索が地道に続けられていた。残った建物も海側の開口部が無残に破壊され、対角線上にある開口部からは家財などが飛び出している状況だ。

捜索の過程でアルバムなどの思い出の品を発見すると、隊員らは手で土砂を拭い、丁寧に拾い上げていく。

 

宮城県 亘理郡 亘理町

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メインとなる道路は比較的早く道路啓開が完了したが、住宅の間を通る生活道路などは依然瓦礫で埋め尽くされたままの状態。また、方々で自動車が横転・転覆しており、時には地面にフロントが突き刺さった状態となっていた。

このエリアでは緊急消防援助隊・愛知県隊が活動を展開。当時納車されたばかりの支援車I型も被災地に投入された。

 

宮城県 亘理郡 山元町

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JR常磐線の坂元駅周辺。駅前の案内板が残るものの、津波により駅施設や線路が流出し、駅前にあった商店なども見る影がない。

 

東北自動車道

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被災した東北3県へ向かうため、消防・警察・自衛隊・ライフライン機関の車両が東北自動車道で北上する。

 

福島県 相馬郡 新地町

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JR常磐線の新地駅周辺。同駅は津波により停車中だった仙台発原ノ町行きの列車とともに被災し、ホームや跨線橋を残して駅および周辺一帯が壊滅状態となった。列車も津波により押し流されて大破したが、乗客はたまたま乗り合わせていた2名の警察官の誘導で避難していたため無事だった。

 

岩手県 宮古市 田老地区

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リアス式海岸の湾の奥に位置するため、このエリアは過去幾度となく津波の被害を受けてきた。そこで、高さ10m、総延長2.5kmにも及ぶ防潮堤を建設するなどして、津波に対して強い街づくりを進めていた。しかし、今回の津波は防潮堤をはるかに越える高さで襲い掛かり、街を破壊しつくした。

宮古市田老地区にある「たろう観光ホテル」は津波により4階までが浸水し、2階までは柱を残して完全に流失するなど大きな被害を受けながらも残存。平成26年(2014年)3月に宮古市が取得し震災遺構として保存が決定した。

 

岩手県 宮古市

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岩手県宮古市の被災状況。市役所周辺では信号が止まったままとなり、広域緊急援助隊として駆けつけた北海道警の警察官が交通整理に当たっていた。

 

岩手県 釜石市

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地震と津波により、消防機関も甚大なダメージを受けた。釜石大槌地区行政事務組合消防本部では津波により泥水や瓦礫が流入。さらに、消防車両も流された。

 

宮城県 気仙沼市

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宮城県気仙沼市では大規模な街区火災が発生。歩道橋も火災の熱で焼け爛れた状況となっている。また、道路も重油混ざりの海水により水没している。
陸に打ち上げられた巨大漁船も撤去することが出来ず、応急的に転倒防止用の支柱で支えられていた。

 


 

写真・文:木下慎次(株式会社ライズ)


初出:web限定記事(2016年3月11日公開)

 


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