3.11 東日本大震災を忘れない[岩手県] 特別編
学ぶべき思い
震災から5年が経過した平成28年6月25日に、宮城県大崎市で開催された第67回宮城県消防大会。株式会社ライズはこの会場で売店を出店した。そこで、カタログ情報誌「Rising」の配布を行っていると、ある消防団員の方に受け取りを断られた。その場では気にも留めなかったが、同じ方がしばらくすると戻ってきてこう話してくれた。
「──みんな〝もう5年〞と思っているが、未だ街並みは元通りには戻っていない。復興も一歩踏み出したところだ。あの震災で、大切な人や仲間を失った。団員の数も激減している。そうした中で消防団活動を続けている。正直、しんどいんだよ…」
郷土を守るため、満身創痍の状態で消防団活動を続けている皆さん──。
東日本大震災は現在進行形で、現在もその影を落としている。
理解していたつもりだが、実際に生の言葉として耳にすると、その重さに胸が締め付けられた。
この出会い、言葉をきっかけに、株式会社ライズでは改めて東日本大震災を振り返ろうと考えた。知らねば、皆さんのお手伝いはできない。また、この企画で得られた言葉や思いを共有することが、災害を風化させないための一助になるのではないかと考えたのだ。
その翌月からの約1年間、この災害と戦った人々を訪ねて回った。実際にこの災害を経験した方々からの言葉には、幾つものヒントがあった。そのいずれも難しい話ではなく、シンプルなものが多かった。
単純ではない「想定外」
現在では禁句のように扱われる「想定外」という言葉だが、あの日、被災地を襲った津波を想定しておくことは難しかったであろうことが、取材を通してまず感じたことだ。日常的に最悪の事態に対処している消防組織にとって「最悪」の見積もりは世間の常識以上に厳しい。そして、その最悪に対処するための備えを行っているわけである。一方で、「最悪」は天井知らずであり、人間が対処できる最悪な事態には限界がある。東日本大震災は、その限界を超えた存在だったわけだ。「防災講演会や地域自主防災組織への講習会などで『いつ宮城県沖地震クラスの大地震が来てもおかしくない』と地域住民へ伝え、皆が津波に対する危機感や警戒意識も持っていたはず」
多くの消防職団員がこう言う。その上で「あの日経験した大津波の来襲を誰が予測できただろうかとも考える」ともいう。東日本大震災以降定型的に用いられる「想定外があってはならない」という言葉だが、そう簡単な事ではない。想定外という言葉を忌み嫌うのではなく、災害は人知を超える事象であることを、皆が再認識する必要があるといえるだろう。
人間の心理特性
想定外の災害であるのは紛れもない事実。にもかかわらず、消防や行政は災害対応について常に完璧を求められ、何らかの犠牲が生じたならば、即座に責任を追及される。だが、責任を追及する市民は、はたして災害発生時に適切な危機回避行動をとってくれるのだろうか。消防や行政が市民の命を完璧に救うことを当然とするのなら、危機に直面した市民は自らにできる最大限の危機回避行動をとって当然のはずである。しかし、東日本大震災が発生したあの日、逃げられる状況でその場にとどまる人々も少なくなかったようだ。
これについては私自身も経験がある。平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害では多くの犠牲者が出た。この災害を教訓に、広島市では豪雨が予想されると早めの避難所開設を行い、避難勧告をすばやく出すことにした。消防団員である私も避難所開設のサポートや警戒活動に幾度となく従事したが、あの経験を経てもなお、避難する住民は驚くほど少ないのが現実だ。
逃げてくれれば助かるはずの命が、危機にさらされるもどかしさ。だが、これは人間の心理が大きく影響しているといわれる。一般に、自分にとって都合の悪い状況・情報がもたらされたとき、人間はその危険性を過小評価してしまう「正常性バイアス」という心理特性がある。さらに、こんな話も聞いた。「東日本大震災が発災する2日前の3月9日に発表された津波注意報、前年のチリ地震に伴う大津波警報でも、結果的に大きな被害がなかった。人々がこの事実を基準に判断してしまったことは否めない」
経験したことのない揺れで平常心を奪われ、正常性バイアスが働き、過去の無事だった経験を基準としてしまう。その結果、即座に危機回避行動に移れなかったことは容易に想像がつく。実際、避難誘導を行う中、逃げない住民の説得に苦慮したという例を驚くほど多く耳にした。最近では津波到達予想の10分前には消防職団員も高台へ避難する「撤退ルール」を策定する動きが活発だ。だが、現場の最前線で活動を行う消防職団員の多くが「その場にとどまる住民を置いて、自分達だけ高台へ避難することは絶対に出来ない」と話す。
とにかく、逃げよ
取材で伺った話、そして、私自身の経験から思ったのは「とにかく逃げてもらう」ことの重要さだ。これを邪魔する人間の心理があるのは確かだが、打ち勝つ方法もある。
思い出したのが、いわゆる「釡石の奇跡」として注目された岩手県釡石市の例だ。東日本大震災で発生した大津波によって、岩手県でも甚大な人的被害が発生した。その中で、岩手県釡石市の小学校・中学校では約3000名が避難し、生存率99.8%という驚異的な数字を記録した。
釡石市がまとめた記録集によれば「災害から身を守る際にはごく短い時間に『避難』の意思決定をする必要があり、それには強い動機や働きかけが必要になる」と書かれている。同市ではこの強い動機づけ、さらには「避難するか否か」を悩むのではなく「即座に避難する」という習慣づけを行うべく、子どもへの実践的な防災教育を積み重ねる取り組みを行ってきた。
釡石市が幼少期からの防災教育に力を入れていたのには理由がある。明治三陸地震の津波を経験した地域では「津波てんでんこ」という先人たちの言い伝えのとおり、地震=津波という意識を多くの人々が持っていた。しかし、平成17年に行った調査では、時代の経過により世帯内での津波知識の伝承が薄れてきていること、また伝承されていたとしても、その知識がいざという時の対応行動に結びつかない可能性があることが明らかとなった。
そこで、防災教育を通して「避難していれば家族が必ず迎えに来てくれる」と考える子どもたち、「子どもはきっと無事に避難しているから自分たちも今できる避難行動を最優先する」と考える大人たちの育成に全力で取り組んだ。つまり、お互いを信じることで即座に避難行動に移るという習慣づけが行われたのだ。
また、中学生になれば、自分が避難するだけでなく、児童の避難支援を行うことも可能になる。「助ける人」となるための訓練を継続することにより、「小さい頃は助けてもらう側だが、大きくなったら助ける側になる」という認識が自然と根付き、防災行動力の向上につながると考えたのだ。シンプルな教えに基づく訓練の積み重ね。これにより実現した必然的な結果こそが「釡石の奇跡」の本質なのだ。
伝えるべき想い
国や行政では東日本大震災から教訓を導き出し、様々な対策を講じているところだ。消防の世界では、さらに特徴的な動きがある。東日本大震災以降、消防職員が個人レベルで活動技術を研鑽する自主勉強会が数多く開催されるようになった。「組織」だけではなく「個」が自らの判断で災害対応能力の強化に向けて動き出しているのだ。
こうした流れに自らの身を委ねるだけで、完璧な対応がなされなかったから指摘するというのは都合がよすぎる話だ。釡石市の例のように、どうすれば自らで危機を回避できるのかといったヒントは、被害の大きさに比例して数多くが導き出されている。単純なところでは、地域住民の一人ひとりが、危機が直面した際にはすぐさま避難する姿勢をもつこと。これは地震や津波に限らず、近年多発する豪雨災害などにおいても通じる発想であり、自分だけでなく隣近所で助け合いつつ、とにかく逃げることで「要救助者」は減らせるはずだ。自助や共助と難しく捉えるのではなく、まずは逃げる、助け合うという単純な話しである。そうすれば、市民だけではなく、消防職団員も危険に身をさらすリスクを軽減でき、その他の任務に全勢力を投入できるはずだ。今回の企画や取材を通して再認識したこのシンプルな原則は、単純明快だからこそ軽視してしまっている感がある。
逃げることに限らず、備蓄の必要性など、防災に関しては古くから言われ続けているアドバイスが数多くある。これらを着実にクリアしていくことこそ、次の災害に打ち勝つための重要な要素なのではないかと考えた。
自分の身を守るのは自分であることを忘れてはならない。いつ、どんな災害が起こっても対応できるよう、危険を予防して危機に備える。私たちがどう行動すべきかを胸に刻み、同じ悲しみを繰り返してはいけないのだ。
最後に、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。そして、取材にご協力いただきました皆様に、心より感謝申し上げます。
文:伊木則人