西日本豪雨災害から1年

昨年の7月に発生した西日本豪雨(平成30年7月豪雨)災害では、14の府県で275名の命が奪われるなど、大きな被害がありました。

この災害で犠牲となられた方々に深く哀悼の意を表しますとともに、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げます。

本災害は地元での発災という性格から、弊社およびスタッフが蓄積してきた知識やスキル、および人脈を駆使し、発災直後より直接的な災害対応活動にも協力させていただきました。
また、平成30年7月13日より「西日本豪雨災害チャリティーTシャツ」の販売を開始。販売で得た収益を義援金としてお預かりする取り組みを実施しております。

直近におきましても、九州地方で豪雨災害が発生するなど、災害級の大雨やそれに伴う土砂災害等はいつどこで発生してもおかしくない状況となっております。
株式会社ライズではカタログ情報誌「Rising」およびホームページにおきまして、西日本豪雨災害に関する関連記事を多数公開中です。
これらをぜひご覧いただき、西日本豪雨災害を振り返ることで、迅速な避難や発災後の行動のヒントとしていただければと思います。

─7.6キズナ─ 追悼式・集会

7月6日には本災害で甚大な被害を受けた広島県の各地で追悼式が行われました。
土石流により多くの犠牲者が出た広島市安芸区矢野東の梅河団地でも6日の夜に追悼式が行われ、約300個のろうそくにより「7.6キズナ」の文字を浮かび上がらせ、冥福を祈りました。

 

  • 土石流で5名が死亡した安芸区矢野地区の梅河団地で行われた追悼式にて献花する松井一實広島市長(中央)、 山本秀樹安芸区長(右)、山田春男市議会議長(左)。
  • 会場となったのは民家があった団地の一角。
  • 献花台の奥に見えるのが治山ダム。不安定になった土砂やコアストーンが流れ出した際に受け止める防護柵が新たに設置されている。
  • 梅河団地では献花台が設けられ、遺族や地域住人らが白い菊などを手向けた。
  • 梅河団地では献花台が設けられ、遺族や地域住人らが白い菊などを手向けた。
  • 遺族や被災した人々が紙コップに思いおもいのメッセージを書き込む。
  • メッセージを記した紙コップにろうそくを入れて火を灯す。
  • 約300個のろうそくにより「7.6キズナ」の文字を浮かび上がらせ、冥福を祈った。
  • 遺族や被災した人々が紙コップにメッセージを書き、中にろうそくを入れて並べた。

写真で見る西日本豪雨災害

「Rising」にて連載させていただきました「あの日の広島」。
その記事中で紹介した写真の現場の現在を紹介させていただきます。
一見すると復旧が進み、元通りの日常に戻ったのかと思われるでしょうが、写真をよくご覧いただければわかる通り、大型土のうにより辛うじて原状回復させた道路や壊れたままのガードレール、住宅があったはずの場所に広がる空き地など、爪痕が痛々しく残っているのが現状です。
また、土砂崩れを起こした山には依然として不安定な状態の土砂やコアストーンが大量に残されており、不安な日々が続いています。
1年がたった今も「土砂が取り除かれただけ」であり、大きな進展はありません。
広島県内では現在でも仮設住宅での生活を余儀なくされている方々がおります。
そうした中で、写真や言葉では伝えきれぬ現実と正面から向き合い、以前の生活を取り戻そうと歩み続けている「今」をご覧ください。

 

  • 1年前:県道34号線。土砂流出により路面が崩落している。
  • 1年後:大型土のう等により流出地盤を原状回復。路面は真新しいアスファルトで覆われ、ガードレールも付け替えられた。
  • 1年前:住宅街の生活道路。土石流に運ばれてきた巨大なコアストーンが至る所に転がる。
  • 1年後:土石流や倒壊家屋が撤去された。
  • 1年前:梅河団地の状況。治山ダムを突破した土石流が道路を駆け抜けた。
  • 1年後:大量の土砂や流木、倒壊家屋の残骸は撤去された。
  • 1年前:道路上に堆積した土砂を掘り、捜索活動を展開する緊急消防援助隊の大阪府大隊。
  • 1年後:元の静けさを取り戻す住宅街。広島県内では1年経った今も5名の行方が分かっていない。
  • 1年前:河川に落ちたトラックが氾濫を招き、道路に流れ出した水が捜索活動を阻んでいた。
  • 1年後:トラックが撤去され、決壊部分が大型土のうにより応急的に補修されている。
  • 1年前:川よりも激しい流れを見せる県道34号線の濁流。
  • 1年後:ガードレールやカーブミラーが復旧され、川の水量も穏やかになっている。
  • 1年前:濁流が流れる県道34号線の天神交差点。水難装備を着装した警視庁の救助隊員が親綱を設定し往来の補助を行っていた。
  • 1年後:県道の機能も元通りとなり、以前のように多くの車両が行き交う。
  • 1年前:矢野東の住宅街。上流より土石流と共に自動車なども流されてきた。
  • 1年後:実際にはご覧の通り高低差がある場所で、低い位置に小川が流れる。土砂などはすべて取り除かれたが、ガードレールは一部が当時のまま壊れている。
  • 1年前:平時は交通量が多い県道34号線の天神交差点。発災後数日間は濁流のように水が勢いよく流れていた。写真右手に見えるのが、ドライバーらが車を乗り捨て助けを求め駆け込んだホンダカーズ呉中矢野店。
  • 1年後:土砂等の除去により川の流れは元の状態に戻された。交差点脇にあった建物は撤去されている。
  • 1年前:上流では山からの水が道路を流れ続けている。
  • 発災直後:水が落ち着くと、コアストーンや多数の石が姿を現す。重機によりこれらや倒壊家屋を撤去した。
  • 1年後:土砂や倒壊家屋などが撤去された。そこにあったはずの建物の姿はなく、更地ばかりとなった。

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