3.11 東日本大震災を忘れない[福島県] interview #01


凄まじい地鳴りが聞こえたかと思うと、庁舎全体が大きく揺れ始め、職員の携帯電話から一斉に緊急地震速報が鳴り響いた。双葉地方広域市町村圏組合消防本部で消防課消防係に所属していた鈴木直人消防司令は、揺れに翻弄されながら「ついに宮城県沖地震が来てしまった」と思った。

 


揺れが収まると同時に鈴木らは消防指揮本部を設置し、各署所の状況を確認した。無線からは「倒壊建物多数」「傷病者ある模様」といった情報が次々と飛び込んでくる。3月11日14時49分には大津波警報が発令。多数負傷者の発生に備え、鈴木らは浪江消防署前庭に応急救護所を準備した。津波到達時刻が迫ると敷地内にある訓練塔に駆け上がり、沿岸部の方向を注視する。街並みの向こうに微かに海が見える。突然、砂煙が立ち上ったかと思うと、津波襲来を告げる通信が立て続けに飛び込んできた。

 

原子力緊急事態宣言の発令


地震発生41分後の15時27分に第一波が襲来する。鈴木は消防指揮本部にて、現場から送られてくる情報の精査を行っていた。各消防部隊とは無線にてコンタクトが可能だが、停電により福島第一・第二原発とのホットラインが不通となっていた。断片的に入ってくる情報はどれも深刻なもの。11日15時27分、福島第一原発1号機・2号機・3号機の全交流電源喪失により原子力災害対策特別措置法(原災法)第10条が発令。続く16時42分に1号機・2号機の非常用炉心冷却装置が注水不能に陥り原災法第15条「原子力緊急事態宣言」が発令される。

これにより、全活動隊員にポケット線量計と全面マスクの携行、防火衣下への簡易防護服着装が下命され、鈴木が準備を行う。事態は深刻だ。しかし、こうした中においても、それまで幾度となく実施してきた訓練の通り「シビアアクシデントであっても最終的には必ず状況を改善し復旧する」と信じていた。深夜になり、鈴木は活動隊の交替要員として双葉町の沿岸部に向かった。ライトで照らし出された範囲しか見えないが、道路を塞ぐ瓦礫や道路脇に「存在しないはずの巨大な水溜まり」があり、被害の大きさが否応なしに理解できた。要救助者の救出や搬送を夜通し行い、明け方に本部へ戻る。参集職員も整い始めたことから、鈴木は再び消防指揮本部に入った。

 

 

OFCへ

4号機火災出場隊が免震重要棟にて状況確認を行う。

それまで起こり得ないとされていた最悪の状況に事態が進んでいく。3月12日15時36分、福島第一原発1号機において水素爆発が発生。18時25分には福島第一原発半径20㎞圏内避難の総理指示が出される。これを受け、消防指揮本部や各署所は20㎞圏外へと機能移転し、災害対応を継続する。
既に原子力現地災害対策本部(オフサイトセンター=OFC)活動要員として2名を派遣していたが、OFCの活動・情報収集強化として、鈴木は消防課長と共に派遣を命ぜられた。「大きな災害が発生した場合『1週間は自宅へ戻れない』というが、この時には『1週間ではきかない。原発事故が収束するまで戻ることはできないだろう』と思った」
装備を整え出動したが、主要幹線道路は陥没や段差により通行が困難な状況であったため、山間部の道を通り抜け何とかたどり着くことができた。入口前では入室の為のスクリーニングが行われており、二人は共に「汚染有り」と判断される。身体除染(拭き取りや脱衣)とスクリーニングを繰り返し、OFC内に入ることができた。
OFC内は混沌としており、これまでの原子力防災訓練等で観た雰囲気とはまるで違っていた。原子力災害発生時に活動拠点となるはずのOFCは機能の大半が使用不能な状態。情報はテレビなどのニュース情報の方が早いと言う状況で、住民の避難状況についても情報が錯綜していた。

 

手探りの活動方針検討

活動後にスクリーニングを受ける救急隊員。

福島第一原発では3月11日の事故発生以来、原子炉内燃料棒への継続的注水機能が喪失したため、緊急代替措置として外部からの注水冷却が必要になっていた。東電社員と原子炉の冷却方法の検討を行う。最初に海水を引くという案が出たが、瓦礫除去が進んでおらず、直近の取水可能ポイントも落差が20m近くあり現有装備では対応できなかった。そこで、敷地外から水をピストン輸送する案が出された。取水用のポンプ車と輸送用の6t水槽車(原液搬送車)等を出動させるべく消防指揮本部と調整を行った。
3月14日9時頃、冷却ミッションがいよいよ実施される。窓越しに出動隊を見送る鈴木は「無事、帰ってきてくれ」と祈った。その後、鈴木はこのミッションに必要な簡易水槽等の資機材貸出のため、無人となった富岡消防署に向かう。同署にて東電関係者に引き渡しを行っていると地域住民が駆け込んできた。「自宅周辺に避難してない老夫婦がいる」
この情報を受け、鈴木は老夫婦宅へ向かうと避難するよう説得を行った。その最中、身体に響く「ズドーン」と乾いた音が鳴り響いた。
11時1分、福島第一原発3号機が水素爆発発生の瞬間だった。
避難所を伝え避難を促し、その場を後にする。他にもまだ避難していない人がいるのではないかと思い町内を巡回していると道路を歩く4人家族に遭遇する。声を掛けると「今何が起きていて、どこに避難すればよいのか解らない」と言う。この時点になっても住民に情報が行き渡っていないことに驚いた。この家族を車両に同乗させ、消防指揮本部機能を移転させた川内出張所に送る。ルームミラー越しに映し出された母子の姿を見て、鈴木は自分の妻と子供の安否が気になり居ても立ってもいられなくなった。災害の時に家族のそばに居てやることの出来ないもどかしさを抑え、ハンドルを握り締めた。

 

悪化する現状


福島第一原発は事態が悪化の一途を辿り、原子力災害現地対策本部長の判断によりOFCの機能が福島県庁に移転された。鈴木は消防指揮本部長の指示でOFC派遣員を交替し、消防指揮本部に合流した。
16日未明に福島第一原発4号機において火災が発生する。出場部隊編成を行う鈴木は、悩んだ。俯瞰注水のための大型高所放水車など、考えられる状況を踏まえて出場隊をピックアップする。運用隊には自分よりも若い隊員がいる。チェルノブイリ原子力発電所事故の火災対応事例が頭をよぎった。施設方式や状況は全く異なるが、多くの消防士が命を落としたという現実がある。「本当に彼らで良いのか?」という複雑な心境に苛まれつつ、苦渋の部隊編成を行った。この時は6隊21名が出場するも、現場の建屋周辺が100msv/h~400msv/hに及ぶ高い放射線量や水素爆発による瓦礫の散乱で進入が阻まれていること、さらに3号機からの発煙事象が確認されたことにより緊急退避を余儀なくされた。
11日の事故発生以降、福島第一原発では深刻な状況が続き、消防活動も震災対応ではなく原子力災害対応へとシフトしていかざるを得なかった。双葉消防では放射線防護体制を確立した上で、20㎞圏内に残留する避難困難者の探索・救護活動を展開するとともに、住民避難後の火災や防火対策、並びに警防対策のため警戒活動を継続して実施した。

 

行方不明者捜索の開始

沿岸部での行方不明者捜索が開始される。PPEフル着装で車両内の行方不明者を救出する。

管内沿岸地域の津波による行方不明者の捜索活動等は、福島県警察本部とともに、4月9日に広野町から開始した。また、警戒区域内(浪江町・双葉町=10㎞圏内/富岡町・楢葉町=20㎞圏内)のエリアとなる4町については、現場の空間放射量を勘案しながら、4月14日より開始する。捜索は被害が特に甚大であり多数の行方不明者が発生している浪江町から活動を開始し、以降は捜索対象区域の空間放射線量を注視しながら双葉町、富岡町に移行。警察合同の第一次捜索活動は6月30日まで実施し、この間の遺体発見数は194体を数えた。
双葉消防では東日本大震災後、管内の災害対応や警戒・調査など、消防機関としてやるべき事はもちろん、「地元に残り活動する行政機関」として、町村の非代替的にできる事を模索し活動を継続してきた。
地震、津波に加え原子力災害という苦難があり、風評被害も続いている。復興という道のりは長く険しいものだが、双葉郡が以前の姿に近づけるその時まで、消防人として守り続けていこうと、鈴木は考えている。

 


 

現場写真提供:双葉地方広域市町村圏組合消防本部

インタビュー:伊木則人

文:木下慎次

 

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