令和6年能登半島地震 現地レポート
2024年1月1日16時06分、石川県の珠洲市で震度5強の地震が発生。16時10分には石川県能登地方の深さ16㎞でM7・6の地震が発生し輪島市、志賀町で震度7を観測。この地震により石川県能登に対して大津波警報、山形県から兵庫県北部を中心に津波警報が発表され、輪島港で1・2m以上の津波が観測され、北海道から九州にかけての日本海側で津波を観測された。
能登地方では2018年頃から地震回数が増加傾向にあり、2023年5月5日には震度6強の地震が発生。この時大きな被害を受け復旧を進めていた建物が再び大きな地震に襲われたことで、建物倒壊も多く発生した。気象庁は石川県能登地方で発生している一連の地震活動について名称を「令和6年能登半島地震」と定めた。2024年1月1日16時以降、震度1以上を観測した地震は1699回発生(2月29日現在:気象庁)。この地震による人的被害は死者241人、負傷者1299人。住家被害は81717棟に及んでいる(3月5日現在:総務省消防庁)。
地元消防本部・消防団の活動
奥能登広域圏事務組合消防本部の輪島消防署には発災直後から駆け込み通報や避難場所を求めた地域住民が押し寄せたため、会議室や食堂を避難者の一次的な退避場所として開放した。
輪島消防署は2つの分署を擁しているが、その内約20キロ離れた町野分署とは道路や通信網が分断され、状況が全くつかめない状態だった。発災から数日して、町野分署の隊員が携帯無線機の電波が届くよう山を登り通信を入れてきたため、この段階で無事を知ることができたという。
また、町野地区の西隣にある南志見(なじみ)地区では火災も発生。非番の職員2名が消防団員10名と連携して消火活動にあたり鎮火させた。
思いがけないアクシデントもあった。16時06分に発生した地震を受け、輪島消防署では車庫前に消防車両を出して車両保護と出場への準備を図った。しかし、16時10分に発生した地震の激しい揺れにより救助工作車が横倒しとなってしまう。これにより同車は運用不能となり、積載資機材を全て降ろして集積管理し、救助資機材が必要な場面では別の出動車両に積載して対応するようにした。
このように、被災地の消防は混乱やアクシデントに襲われながら、刻一刻と変わる状況に対応していった。
緊急消防援助隊の活動
緊急消防援助隊の動きも早かった。揺れの大きさや大津波警報の発表など、東日本大震災のように甚大な被害の発生が予想され、さらに元日であったことから状況把握や応援要請に通常以上に時間がかかることが考えられる。そこで、被災地からの要請を待たずに発災直後に消防庁長官から緊急消防援助隊出動の指示が出された。要請前出動は1995年に緊急消防援助隊が創設されて以来初めてとなる。
迅速な初動を切ったが、発災当日に輪島市やその先の珠洲市に進出できた陸上部隊はなかった。周囲を海や山で囲まれた半島の先端部で、道路は寸断状態。港湾部も損壊や地盤隆起、津波による漂流物などにより使用不能。陸上部隊が現地にて本格的に活動を開始できたのは3日になってからだった。
緊急消防援助隊は2月21日に活動を終了し引揚げ。51日間で21都府県から延べ約5万9000人が投入され、295人の救出と1576人の救急搬送を行った。
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写真・文:Rising取材班
初出:2024年4月 Rising 春号 [vol.33] 掲載
(※この記事はRising掲載記事を補完したWeb完全版です)