消防職員ボランティア活動記録[令和6年能登半島地震]
東日本大震災以降、災害ボランティア活動に参加する消防職員も増え、休日などの時間を使って被災地での活動や、平時には災害支援団体が実施する講習会に参加して対応技術の錬磨に努める者も少なくない。また、これら活動を通して、災害支援団体との顔の見える関係が深まっている。
令和6年能登半島地震ではこの顔の見える関係が最大限に活かされた。本災害でも発災直後から多くの災害支援団体が被災地に入り活動が展開された。一方で、被害の甚大さなどから一般災害ボランティアの受け入れはなかなか進まなかった。こうした中で、早く動き出したのが消防の有志たちによる災害ボランティア活動だった。現地活動する災害支援団体と連絡を取り合い、団体の活動に合流。危険環境での活動や自己完結型の活動に対応できる消防職員だからこそ、一般災害ボランティアの活動が制限された初期から現地活動することができた。
能登半島の先端に位置する石川県珠洲市では県内外から消防職員が集まり、倒壊現場における貴重品や思い出の品の搬出、障害物撤去といった活動が行われていた。また、災害支援団体などにより道路啓開が行われたが、応急処置を行ってもひび割でのパンクや隆起したマンホールに乗り上げてしまうといったトラブルが多発。そこで、即席マーカーを作成し、危険個所がわかるように設置してまわるといった、地道な活動も行われていた。
被災者のため、そして復旧に向けて活動する人々のため、消防の有志たちは今も継続して災害ボランティア活動を続けている。
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写真・文:Rising取材班
初出:2024年4月 Rising 春号 [vol.33] 掲載